NITSニュース第11号 平成29年9月1日

スクール・マネジメントを考える(Ⅲ)―スクール・マネジメントの阻害要因は―

独立行政法人教職員支援機構 理事長 高岡信也

学校を「鍋蓋型組織」だという言い方に対し,「今時,そんな学校はないでしょう?」という反論がありそうです。スクール・マネジメントの理解が進んでいる現在,たしかに,既に克服された概念,大昔の古い学校生態論,さらに言えば,学校を変えるという大義名分を強調したいがためのフェイク,為にする学校批判ではないか,という声もあるかもしれません。

またまた若いときの話を持ちだして恐縮ですが,学生時代に聞かされた「まじめな論争」を思い出します。

学校のより良い組織原理は,単層構造であるべきか,それとも複層的であるべきか,というもので,単層・重層構造論争と呼ばれていました。単層構造論の主張者は,学校は,職務上平等な権利・義務を有する教員集団によってこそ担われるべきと言っていました。 子供の前では,教師はすべて平等でなければならないという主張は,当時,最も「まっとうだ」と受け取られていました。一方,その批判者は,校長・教頭の管理責任と教員に指揮命令する,つまり上司による部下への管理体制が不可欠,という立場です。教育活動を行う学校も一つの組織,経営体である以上,人的・物的な経営資源の適正な管理が不要であるはずはない,というものです。

この種の論争は,多くの場合,思想的背景を異にする論者の対決という図式に持ち込まれ,従って双方が極限まで対立を強調することが多いのですが,当時の様子はまさにそれでした。学校経営をめぐる立場の違いは,思想信条の違いに拡大(あるいは,ある種のネタバレ?)され,論争はある種の政治性を帯びたものになったのです。 にっちもさっちもいかない,とはこのことですが,そこはそれ,輻湊説というか調停的議論というか,当時の表現を借りれば,アウフ・ヘーベン(止揚)する言説も生まれました。学会では,発展型とか現代化とか言われていましたが,要するに学校経営の民主化による参加型管理・運営論の出現です。それぞれの論理は,その発案者の名を冠して「〇〇理論」と呼ばれ,学派も形成されたようです。

さて,何の話をしているかというと,現代のスクール・マネジメントの理論的背景には,先人たちの試行錯誤,理論闘争の跡,残骸がしっかりと存在していることを忘れてはならないという話です。

現在では,スクール・マネジメントのあり方を検討するというとき,行動心理学やコーチング理論,組織経済学や知識経営論(ナレッジマネジメント)等,多様な専門的知見に依拠して議論されることが多いようです。教育経済学という分野も出現したということですが,それぞれの立場が主張する背景にある「教育とは何か」についての共通の基盤が作られていないということが気にかかります。 個々の理論が,それぞれに認識する「教育とは何か」が,互いに不干渉,不整合のまま,それぞれの理論の正当性を主張する。複雑な論理構成,圧倒的な数値で示されるエビデンスに彩られながら,大昔の先人たちの営みとそれほど大きな違いはないということになっては困る。それなら,ややこしい理論の勉強より,単層・重層構造論争の昔に帰って,一方の主張であった単層構造論に依拠してしまえ!ということにもなりかねないのではないでしょうか。 学校経営すべての責任は校長にあり,鍋蓋組織と誹られようがそれはそれでかまわない。一方校長は,「自分の思い通りのリーダーシップが発揮できること」を良しとする。間違いなくまずい「先祖帰り」です。

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