NITSニュース第18号 平成29年10月20日

「学問する」こと(Ⅰ)

独立行政法人教職員支援機構 理事長 髙岡信也

表題は仰々しいのですが,決して科学の倫理や学問の哲学をしようというのではありません。

さて,話は江戸時代の後期,寺子屋全盛の時代にさかのぼります。実は1840年頃,ヨーロッパで興味深い出来事がありました。フランス政府の役人であったV.クーザンという人がプロイセン(今のドイツ)に教育視察に出かけました。そこで驚愕の事実に出会います。「なんと,プロイセンの民衆の4割以上が,読み書き能力を保持している。この事実は驚くべきことで,この国にはすでに,我々が祖国フランスに是非とも建設したいと考えている公的教育が行き渡りつつあることを示している。」いわゆる識字率が,当時のフランスを遥かに超えて高い国が隣にある,という驚愕のようです。

その頃の日本はどうだったか。時代は,幕末の騒乱期,近代の入り口の,そのまた入り口あたりのことです。その頃の日本人の読み書き能力は,歴史家の推定によれば,およそ8割に達していた,と言われています。まさにその頃の日本は,まさに世界に冠たる教育国家だったのです。

その原動力は,先ほど触れた寺子屋です。全国津々浦々に,都会では,食い詰め浪人の生計(たつき)として,お寺の和尚さんの布教活動のついでに,子供たちに「読み書き,そろばん」を教える塾が簇生(ぞくせい)していました。まさに江戸の末期は,未曾有の「教育爆発」の時代だったのです。(V.クーザンが日本に来ていたら,それこそ目を回していたことでしょう。これは勝てない,と思ったかもしれませんね。)

その「読み書き,そろばん」のことを,庶民は「学問」と呼びました。我が子に「学問」をさせることが,その子の未来に間違いなく意味がある。そう考えて,武士や公家の専有物だった「学問」することを我が子にも,と考えたのです。

さて,それからおよそ180年余の時を経て,よくよく考えてみると,私たち現代人は,「学問する」という言葉をほぼ使わなくなっています。「学問」は,ほぼ死語化している,世の変化ということでしょうか。

大学を最高学府という時の学府は,学問の府であると同時に,学びの府でもある。だから辛うじてここには学問が残っている,と言えるのかもしれません。しかし最近の大学は,どうも就職予備校化しているという声も聞かれます。大学で何を学び,学問したかは,この際問われない。とすると,この最高学府にも学問の実態はないのかも知れません。

江戸時代の寺子屋が教えていたことは,おそらく今の小学校のレベルにとどまっていました。それを,「学問する」などと大仰に考えたのは,今から見れば,滑稽でもあります。

しかし,現代人の心性から「学問する」という感覚が抜け落ち,ただただ,与えられた知識を学ぶことに意味を見いだし,その学びを教育というのだとしたら, 実はご先祖様の方が,ずっと高い志(こころざし)を持っていた,高い目線で教育を考えていたとは思いませんか?

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