NITSニュース第54号 平成30年8月17日

勤務先の学校は「猫背」になっていませんか? ~カリキュラム・マネジメントの考え方にもとづく教育活動の見直し

奈良教育大学 教授 赤沢早人

周知の通り、次期学習指導要領等において、カリキュラム・マネジメントという考え方が示されました。「主体的・対話的で深い学びからの授業改善の視点(アクティブ・ラーニング)」が、学習指導要領等の目指す「資質・能力」の3つの柱の実現のための「授業のイノベーション」であるとすれば、カリキュラム・マネジメントは、授業を含む各学校の「教育課程(カリキュラム)のデザイン」を通じて、「3つの柱」を支えようとする考え方であるということができるでしょう(参照:田村学「『主体的・対話的で深い学び』の実現に向けて」)。

学習指導要領等の総則では、カリキュラム・マネジメントを「3つの側面」から説明しています。すなわち、
(1)児童や学校,地域の実態を適切に把握し,教育の目的や目標の実現に必要な教育の内容等を教科等横断的な視点で組み立てていくこと,
(2)教育課程の実施状況を評価してその改善を図っていくこと,
(3)教育課程の実施に必要な人的又は物的な体制を確保するとともにその改善を図っていくこと
の3点です(出典:『小学校学習指導要領解説 総則編』及び『中学校学習指導要領解説 総則編』2017年6月、40-41ページ。カッコ数字は引用者による)。

特徴的なキーワードでかいつまんで言えば、(1)教科横断型の内容編成、(2)教育課程のPDCAサイクル、(3)学校組織マネジメント、ということになります。学習指導要領の説明に基づけば、かかるアプローチを取り入れながら、教育課程(カリキュラム)の編成を行っていくことが、各学校におけるカリキュラム・マネジメントの実施であるというように読むことができます。

ただし、ここで注意しなければならないことがあります。たしかに、カリキュラム・マネジメントに関するこれまでの研究においても、こうしたアプローチが各学校の教育課程(カリキュラム)編成に効果を上げていることは指摘されています。一方で、これらを取り入れることがすなわちカリキュラム・マネジメントになるというわけではありません。各学校の教育ニーズによって、教科横断型の内容を導入することが重要な場合もあります。多忙化が極まるなかで、PDCAに沿った学校運営や教育課程編成が弱体化している学校もあるかもしれません。

しかし、あくまでそれらは、各学校の「必要に応じて」検討されるべき事柄にしかすぎないのであり、その実施を各学校に一律に強制すべしということではないのです。そうであればこそ、学習指導要領等でも、それらはあくまでもカリキュラム・マネジメントの「側面」であると位置づけられているのです。

それでは、こうした「側面」に彩られたカリキュラム・マネジメントの「核心」は何であるのでしょうか。学習指導要領等に示されている「教育課程」の説明に、その「答え」が示されています。教育課程というと、教科・科目の種類や授業時数・単位数およびその具体的編成としての「年間計画」や「時間割表」をイメージすることが多いかと思いますが、学習指導要領等では、もう少し幅広い捉え方をしています。すなわち、教育課程とは、

学校教育の目的や目標を達成するために,教育の内容を児童の心身の発達に応じ,授業時数との関連において総合的に組織した各学校の教育計画(出典:『小学校学習指導要領解説 総則編』12ページ)

というわけです。この説明を読むと、どうしても「授業時数との関連において」の部分に意識が向きがちですが、本体(ボディ)はそこではありません。「学校教育の目的や目標を達成するために…(中略)…総合的に組織した各学校の教育計画」が教育課程であるというわけです。

ここで改めて、各学校での教育課程(カリキュラム)編成の実際の姿を顧みていただきたいと思います。各学校の「目的」とはすなわち、学校が児童生徒に実現をめざす最高の教育価値を示した「学校教育目標」あるいは「校是」「建学の理念・精神」等と呼ばれているものです。各学校で編成される教育課程は、どのような意味で、学校教育目標の「達成」をめざして編成されているでしょうか。もう少し具体的に言えば、各学校が教育課程の一環として実施している各教科の授業は、個々の学校行事は、生徒・生活指導は、進路指導は、教育相談・支援活動は、それぞれ、「学校教育目標」のどのような価値を、どのように「達成」するものとして編成されているでしょうか。

また、実際にこれらの教育活動を担う各教員が、「学校教育目標」をどの程度意識しながら取組を進めているでしょうか。もちろん、個々の授業等の短期的な目標(たとえば、「〇〇の知識を習得させる」「△△の考え方を持てるようにする、など)は十分に意識されていることでしょう。しかし、これらが根本理念である「学校教育目標」にどのように結びつくものとして把握されているでしょうか。

いうまでもなく、各学校が掲げる学校教育目標は、包括的なものです。心・技・体(あかるく・かしこく・つよく)という学校教育の不易をバランスよく含んだ示し方をされていることが一般的です。そうであるがゆえに、語弊を恐れずにあえて言うならば、教育課程上の個々の教育活動がどのようなものであれ、上記の価値に包括されることになりますから(もし包括されないならば、それはそもそも「教育」活動とすら呼べない)、各教員はいちいち学校教育目標まで遡らなくても、目の前の授業や生徒指導等の目標を達成してさえすれば、学校教育目標の達成に寄与していると「言えてしまう」のです。

実のところ、教員も子どもも当該校の学校教育目標をよく知らない。しかし、卒業時には(教育課程を修了したわけですから)、学校教育目標を達成した「ことになっている」。こうした「予定調和」を克服し、各学校の最高の教育価値であるところの学校教育目標を、望むらくはその学校に通うすべての子どもたちに達成することについての「実質」を追究しようというのが、次期学習指導要領等のいうカリキュラム・マネジメントの「核心」と捉えるべきでしょう。

かかる壮大な教育理念を謳うカリキュラム・マネジメントを「絵に描いた餅」とせず、あるいは「現代日本教育改革狂騒曲」の1フレーズに終わらせないためには、いくつかの戦略が必要です。上述の「3つの側面」も、その戦略の一つに含まれていると言えるでしょう。その中で、もっとも重要であり、同時に最も地味であるために持続的な取組が難しいとも言えるものが、「教育目標の具体化・焦点化」に関する戦略です。

どの学校においても、学校教育目標は人間形成に関わる抽象的で全体的な理念を謳うでしょう。それはそれとして大切な理念です。ただし、そのままでは抽象的すぎるため、具体的にどんな教育活動を同様に進めていけばいいかの指針にはなりません、このため、これらを各年度や各教科等の「部分」において具体化・焦点化をはかっていく必要があります。

ある小学校を例にあげて考えてみましょう。「心やさしい姿」を学校教育目標に謳うある小学校は、たとえば平成30年度の1年間の教育課程を通して、子どもの「どのような」心やさしい姿をめざすのかを考えなければなりません。また、「心やさしい姿」がみるみるうちに校内の多数の子どもに実現するなどということが現実的ではないのだとすれば、学期ごとの、あるいは学年ごとの、こうした姿の成長をどのように見通していくのかについても考えなくてはなりません。これらの構想とデザインが、「教育目標の具体化」と呼ばれるものです。

また、同じ学校はおそらく学力や体力の面でも、学校教育目標で何かを謳っていることでしょう。もちろん、心技体のバランスのとれた育成をめざすのが学校教育の本義ですから、子どもへの実際の指導は、これらを踏まえながらトータルに行われていきます。

しかし、学校の全教職員が、子どもたちのリアルな教育課題を目の当たりにしながら、その解決のための教育活動を行っていくにあたって、「あれもそれもこれもどれも」120%の力を出し続けることは現実的ではないでしょう。子どもたちに実現したい多様な教育目標のなかで、いま全教職員が意識を揃えて取り組んでいかなければならないのは何であるのか。その見定めと関係者間での意識の共有が、「教育目標の焦点化」と呼ばれるものです。

カリキュラム・マネジメントの実施にあたっては、もっとも包括的な学校教育目標から、もっとも個別的な各授業等の目標に至るまで、教育目標の「具体化」と「焦点化」がどのように論理的に(すなわち、筋道を立てて)、かつ心理的に(すなわち、関与する教職員がなるほどと理解・納得できるように)、組み立てられているかについて、検討を重ねていくことが肝要です。

以上のことは総じて「地味」な取組です。しかし、各学校の教育課程(カリキュラム)の「背骨」に当たるものです。各学校は、カリキュラム・マネジメントという提起をきっかけにして、その姿勢が「しゃんと伸びているのか」、それとも「何らかの事情で猫背になって歪んでしまっているのか」を、改めて見直すことができれば(そして必要があれば「姿勢矯正」をすることができれば)、各学校の教育活動は「盤石さ」をさらに増すことができるのではないでしょうか。

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